BTC リサーチパースペクティブ Vol.3 ビヨンドポストeコマース

Haptics

eコマースについてはもはや解説が不要というくらい浸透している。一方で、これだけ浸透しているのにもかかわらず、リアル店舗での購買と比較して、五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)が制約されていることは否めない。五感のうち、視覚と聴覚だけがeコマースで再現されているに過ぎない。しかも、視覚については、ディスプレイのキャリブレーション(色彩調整)を正しく設定していなければ、色味を正確に再現されているとは限らない。

Haptics(ハプティックス:触覚提示技術)は、五感のうち「触覚」を振動で人工的に作り出し、「皮膚感覚フィードバック」を疑似的に再現する技術である。遠隔地にあるセンサーで感知した振動をネットワークを介して、手元のデバイスで振動によって触覚として再現する。たとえば、モーション・リブ社*1はHapticsを実現するICチップ”abcCore”を、大阪ヒートクール社*2はペルチェ素子を用いて温冷感を表現した “ThermoScratch”を開発している。
MIでは物性の特性をコンピュータ上で計算させたり、あるいは過去のシミューレションデータや論文データを機械学習によって分析させたりすることによって、材料探索を進めることで材料開発をスピードアップさせることができる。

五感対応eコマース

eコマースサイトでは、前述のように五感のうち、すでに視覚はディスプレイによって、聴覚はオーディオ装置によって実現している。しかし、たとえば衣服を購入する際に肌触りが知りたいというような場合には、前述のHapticsのような機能がなければ体感できない。Hapticsを応用することで、桃のような触ることで傷んでしまう果実を「非接触」で硬さを再現するようなことも可能である。ただし、 Hapticsによって実現できるのは五感のうち触覚だけである。
五感のうち本稿で言及してこなかった嗅覚と味覚について再現するデバイスはすでに存在する。OVR Techonology社*3は、ION3という香りを提供するウェアラブルデバイスを販売している。味覚については、 キリンが開発したエレキソルトスプーン*4のように電気味覚(舌に電気を流すと味を感じる)を応用したものがある。

ただし、デバイスを口に入れるのは抵抗がある場合があるので、『味覚とは「95%が嗅覚で、5%が味」』という「ピュイゼ理論」*5に基づいて、嗅覚で制御する方が現実的である。
また、eコマースではないが、 Sensiks社*6はSensory Reality Podという公衆電話ボックスのような箱で五感を提供している事例もある。

なお、アクセシビリティという観点から、視覚に障碍がある方向けにはスクリーンリーダーと呼ばれるソフトウェアを使ってウェブサイト上の情報を音声で読み上げたり点字ディスプレイに出力したり、聴覚に障碍がある方向けにはサイレントボイスや人工内耳といった技術が開発されている。キーボードやマウスの操作ができない方には、アイトラッキング(目の動きを解析して視線入カを実現する)や音声入力(音声認識)も提供されている。

ポスト五感eコマース

Haptics eコマースなど、視覚、聴覚以外の五感に対応したeコマースが普及していないのは、購買者のデバイスが現状はディスプレイとオーディオ装置に限定され、購買者が五感デバイスを揃えることが前提になっているからである。前述のSensiks社のように技術的には可能でも、広くあまねく普及するにはコストダウンも含めて時間がかかる。さらにスマートフォンが主流であることを考慮するとモバイル環境での利用も前提になり、これまで述べてきたデバイスとは方向性の違うデバイスが求められる。

一方、BMI(Brain-machine Interface)を使うことで、匂いも味も脳に直接伝えることができ、 Sensiks社のSensory Reality Podのような公衆電話ボックスを用意する必要はなくなる。BMIとは脳と機械を接続する技術のことで、コンピュータに接続する場合が多いので、BCI(Brain-computer Interface)とも呼ばれる。たとえば、ロレアルはEmotive社と共同で消費者が香水の香りを嗅いだ時の脳波を測定し、消費者の好みの香水を提供するサービスを発表している*7

BMIには、脳内へ信号やエネルギーを送る「入力型」、脳内の情報処理過程に機械が介入する「中枢介入型」、脳内からの信号を外部に送る「出力型」がある。eコマースにおいては、入力型BMIが必要とされ、外科的手術により頭蓋内に電極を置く「侵襲型」と、手術をせずに電気や磁気などを与える「非侵襲型」がある。購買行動のために、わざわざ、外科的手術を行うことは考えにくいので、 eコマースにおいては、非侵襲型が主流になるであろう。

また、ニューロモデュレーションというデバイスを用いて電気や磁気の刺激を与えて神経活動を調整する医学的治療法がある。これをBMIに応用して、脳の特定部位に刺激を与えることで味覚、嗅覚、触覚を再現する研究が行われている*8。この研究によると経皮電気刺激(PES:Percutaneous Electrical Stimulation)を与える神経系ごとに五感を疑似的に作り出せるとしている。

とくに、筋肉インタフェース技術の分野では、Valkyrie Industries社*9がEMS(Electrical Muscle Stimulation)という電気刺激で筋肉を動かす技術を用いて、脳からの電気信号の代わりに、外部から筋肉に電気刺激を与えることで、重さや負荷、疲労などの感覚を仮想体験可能なウェアラブルデバイスを開発している。さらに、味覚についてもEMSを用いて再現する研究もおこなわれている*10。また、まだ猿による実験では、バーチャル世界の中の物に触れた感覚を感じさせることに成功している*11
一見、SFの世界のように思える非侵襲による五感eコマースであるが、医療技術からの転用であるため、法整備などが整えば、意外と実現は近いと考えている。

注釈

※以下、URLは外部サイトとなります。

*1:モーション・リブ社のhapticsを実現するICチップ”abcCore”
https://www.motionlib.com/product/abc-core/

*2:大阪ヒートクール社のペルチェ素子を用いて温冷感を表現した “ThermoScratch”
https://www.osaka-heat-cool.com/

*3:OVR Technology社の香りを提供するウェアラブルデバイス ION3
https://ovrtechnology.com/

*4:キリンのエレキソルトスプーン
https://www.kirinholdings.com/jp/newsroom/release/2022/0907_01.html

*5:ジャック・ピュイゼ,子どもの味覚を育てる 親子で学ぶ「ピュイゼ理論」,CCCメディアハウス,2017/9/21

*6:Sensiks社の五感体験ボックスSensory Reality Pod
https://www.sensiks.com/

*7:ロレアルの消費者の好みの香水を提供するサービス
L’Oréal, in partnership with global neurotech leader, Emotiv, launches new device to help consumers personalize their fragrance choices
https://www.loreal.com/en/press-release/group/press-release-scent–sation/

*8:経皮電気刺激による頭部末梢神経系への刺激を利用した多感覚提示インタフェース
https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-17H04690/17H04690seika.pdf

*9:Valkyrie Industries社
https://www.valkyrie-vr.com/

*10:電気的筋肉刺激を用いたバーチャル食感提示手法に関する検討
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tvrsj/21/4/21_575/_pdf/-char/ja

*11:バーチャル世界の中の物に触れた感覚を感じさせる研究
2011.06.02. Active tactile exploration using a brain–machine–brain interface
https://www.nature.com/articles/nature10489