BTC リサーチパースペクティブ Vol.2 ポストMI (マテリアルズ・インフォマティクス)

MI

従来の材料開発は知識、経験、能力に依存していた。ニーズに対して理論計算を行い、既存研究を探して実験を繰り返しながら材料を試作し、物性評価を進めるという手間と時間のかかるプロセスであった。

MI(マテリアルズ・インフォマティクス)とは、計算科学や情報科学によって材料(マテリアル)開発のスピードをアップさせる試みである。近年、計算科学にAIや機械学習を利用する傾向にある。

MIでは物性の特性をコンピュータ上で計算させたり、あるいは過去のシミューレションデータや論文データを機械学習によって分析させたりすることによって、材料探索を進めることで材料開発をスピードアップさせることができる。

量子化学計算

量子化学計算は分子シミュレーション技術の一つである。分子シミュレーションは、化学物質の構造をもとに物理学の原理に従い計算する技術で、量子化学計算、分子動力学計算、粗視化分子動力学計算などがある。量子化学計算は原子や分子の構造や性質を電子状態から解析する手法であり、経験的なパラメータを用いない場合は第一原理計算とも呼ばれる。分子動力学計算では原子や分子の運動を力学法則に基づいて解析する。粗視化動力学計算は高分子など分子サイズがより大きな場合に、あるまとまった原子の集団を原子集合体として簡略化して解析する手法である。

量子化学計算は、「物質の性質、反応性は、その物質の電子状態がわかれば予測できる」という前提に基づき、シュレーディンガー方程式を解いて電子状態を求めるものである。電子状態がわかることによって、最安定構造、エネルギー値、電荷分布、結合距離、各振動モード、紫外可視吸収スペクトル、対称性などがわかる。つまり、量子化学計算は電子状態から材料の構造や性能を計算できる。

シュレーディンガー方程式はハートリーフォック法によって近似的に解いていたが、DFT法(密度汎関数法)が考案されて以降はDFT法が主流となっていた。DFT法は1927年に発表されたトーマス・フェルミ理論(電子密度だけでハミルトニアン演算子を表わすことができる)を基礎理論とし、1964年にホーエンベルグ・コーン定理によってトーマス・フェルミ理論の正しさが立証され、1965年に発表されたコーン・シャム方程式を用いることによって計算可能になったという歴史的経緯がある。

ポストMI

前述のように従来のMIにおいてはAIや機械学習がとり入れられてきたが、ポストMIにおいては、計算データベース(既存の計算データ)*1を用いてQCBM(Quancum Circuit Born Machine:量子回路ボルンマシン)などによる量子機械学習)で物性を推定し、推定結果を量子化学計算する際にも量子コンピュータを活用する試みである。従来の「量子化学計算」と区別するために量子コンピュータを利用した量子化学計算をここでは「量子量子化学計算」と呼ぶ。

古典コンピュータで量子化学計算を行う場合、よく用いられるのは前述のDFT法である。たとえば、ある原子核配置をとる分子のエネルギーの近似値を計算する場合、分子や原子の数が”N”とすると、その計算量は”Nの3乗”に比例して増加する。さらにDFTを使って分子や原子の構造が最も安定する原子核配置を見つけようとする場合、原子核配置のそれぞれについてエネルギーを計算し、その値が最も小さくなる原子核配置を探索する必要がある。原子核配置のバリエーションは原子数に対して指数関数的に増えるため、その計算量も指数関数的に増大し、古典コンピュータで量子化学計算を行うことは非現実的である。

現在、動作可能な量子コンピュータであるNISQ(Noisy intermediate-scale quantum)で量子化学計算を行う場合は、VQE(Variational quantum eigensolver:変分量子固有ソルバー)*2が用いられる。VQEは、量子コンピュータで波動関数生成とエネルギー計算、古典コンピュータで変分パラメータの最適化を行うハイブリッド型である。ただし、変分的最適解を得るにはDFTと同様に指数関数的な計算量が必要であり、近似波動関数計算は古典コンピュータでも多項式で実行可能であるため、現時点では NISQ で量子化学計算を行うことも非現実的である。

これらに対して、FTQC(Fault-tolerant quantum computing)型の量子コンピュータが実現されれば、 QPE(量子位相推定:Quantum phase estimation)*3やPITE*4を実行できるようになる。たとえば、 PITEを量子化学計算に適用して、分子や原子の構造が最も安定する原子核配置を見つけようとした場合、計算量の増え方は”Nの2乗程度”となり、量子コンピュータで量子化学計算を行うことに現実味を帯びてくるので、FTQCの実現が待たれる。

注釈

※以下外部サイトとなります。

*1:計算データベースの例
・ChemTube3D:量子化学計算で得られた遷移状態のデータ
https://www.chemtube3d.com/

・CCCBDB(Computational Chemistry Comparison and Benchmark Database):1,799分子の実験値及び計算値
https://cccbdb.nist.gov/

・日本蛋白質構造データバンク(PDBj:Protein Data Bank Japan):生体高分子の構造データベース
https://pdbj.org/

・Chem Tube3D:基本的な有機化学反応の遷移構造
https://www.chemtube3d.com/

・BSE(Basis Set Exchange):500種類以上の基底関数
https://www.basissetexchange.org/

*2:VQE
AiSpirits,いちから始める量子コンピュータ「量子アルゴリズムVQE(Variational Quantum Eigensolver))」
https://aispirits.com/2021/04/16/%e9%87%8f%e5%ad%90%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%b4%e3%83%aa%e3%82%ba%e3%83%a0-vqevariational-quantum-eigensolver%ef%bc%89/
*3:QPE
AiSpirits,いちから始める量子コンピュータ「量子アルゴリズム 量子位相推定(QPE)」
https://aispirits.com/2021/04/16/%e9%87%8f%e5%ad%90%e3%82%a2%e3%83%ab%e3%82%b4%e3%83%aa%e3%82%ba%e3%83%a0-%e9%87%8f%e5%ad%90%e4%bd%8d%e7%9b%b8%e6%8e%a8%e5%ae%9aqpe/

*4:PITE
Cornell University, arXiv quant-ph
「Exhaustive search for optimal molecular geometries using imaginary-time evolution on a quantum computer.」
https://arxiv.org/abs/2210.09883